Q. この仕事に就いた経緯を教えて下さい
A.高校生の頃、通学電車に乗っていて、決まった仕事場に毎日通うような生活は自分には向いていないと感じ、それで何ができるかな?と思っていたところ、ずっと音楽マニアだったし、音楽を仕事にしたいと考えて単純に?音大を目指しました。経済的理由から国公立の芸大しか考えてなくて、入りやすさを考えて専攻はトロンボーンにして、二浪で芸大に入ることができました。
在学中は、同期に指揮科の生徒がいなかったので、機会があれば自分から指揮をやらせてもらいました。もちろん基本、クラシックです。
Q. では、クラシックの指揮者が本望でしたか?
A.そう言う事はありません。怖そうな大演奏家の方々に囲まれるような立場はちょっと苦手でしたし。
Q. 最初は指揮者としてこの世界に入ってきたわけではないのですね?
A.最初は、三枝成彰先生の「東京の音大に入りたい人の予備校」みたいなところでソルフェージュとか楽典を教えるのが、この世界に入るきっかけでした。その頃の生徒には、宮川彬良とか渡辺等とかが来ていましたね。
当時は、NHKの劇判の仕事がいっぱいあって、三枝さんをはじめクラシックも含めて大物の作曲家もよく劇判の仕事をしていました。ミュージシャンも指揮者も需要がすごかったです。
そのあたりから指揮の仕事を始めたのですが、現代音楽の人も多くて大変でした。今も活躍されてますが、「無伴奏人体ソナタ」を書いた「ロクリアン正岡」なんて人もいましたね。
石橋:当時のNHKは、確かに24時間稼働でした
A.でも夜10時を過ぎるとエコールームがしまってしまうのでリバーブがかからない。BK(大阪NHK)のエコールームは裏に駐車場があって、車のノイズがリバーブに入ってしまうこともありました(笑)。
(注)初期のリバーブは、元の音を専用の反響室(エコールーム)に送って、その反響をマイクで拾う方式や、元ので金属板を震わせて、その音を拾うプレート式など超アナログだった。今でもDTMのシュミレーションにプレートがあるのはそのなごり。
Q. ところで、大学はすんなり卒業されました?
A.3年余分に行ったので、浪人2年と合わせて5年遅い卒業ですね。いつでも卒業はできたのですが、当時の学費は激安だったのでのんびりと学生生活を楽しんでいました。
Q. 学生時代から指揮の仕事をされてましたか?
A.むしろ、ユーフォニウムの仕事は結構ありました。そんな楽器でも需要が結構ありました。
Q. スタジオワークの指揮者は特殊だと思うのですが、どなたかに師事されましたか?
A.現場にいる機会も多かったので、全く独学です。大先輩の「吉澤実」さんに秒数計算に使える計算尺をいただきましたが、私は最初から電卓を使いました(笑)
Q. 打ち込み全盛の今、仕事はどうですか?
A.皆さんも同じだと思いますが、もちろん仕事量は随分減っています。ただ、ゲームが全盛時代は、結構大編成の仕事もありました。また、アレンジャーも足らなくて弦のアレンジなんかもやりましたが、そこは積極的にはなれませんでしたね。その後ゲームがオンライン化されてからは、容量の関係で生音が減ったり、ゲームの単価が下がったりして仕事は随分減りました。
最近面白いのは、作家やクライアントとミュージシャンの緩衝材のような役目で呼ばれることがあります。無理な計画でミュージシャンに負担がかかりすぎたりしたときのまとめ役、中間管理職ですね。
Q. 失礼を承知で伺いますが、年齢を感じるときはありますか?
A.皆さんも御存知だと思いますが、8年ほど前に脳出血をやってしまいました。幸いにも数ヶ月ほどで日常生活に問題無い程度まで回復したのですが、今も左半身が少し不自由です。仕事上では、譜面をめくる時にどうしてもノイズが入りやすくて、生録あっての指揮者なので気をつけています。
若手二人:演奏する側から言わせていただくと、テンポの変わり目や特にリタルダンドは、やはり、人間の指揮者がやってくれると気持ちよく演奏できます。クリックに必死に合わせていると演奏に気持ちが入らなくなってしまうことも良くあって、本末転倒ですよね。
指揮棒はある意味正確ではないかも知れませんが、おなじテンポ感を共有できますし、そうすると音楽に気持ちを専念させることができます。特に、蓜島さんの様な最高の方が来てくれた時は(笑)
Q. 確か、蓜島さん独自改良のクリックマシーンを持っていらっしゃいますよね?
A.皆さんよく御存知だと思いますけど、例えばメトロノームは100bpmの次は102、104と階段状だったりしますよね。スタジオの仕事には、これでは単位が荒すぎるので、直線的に数値を選べるように改造しました。今は何台か持っていて必要に合わせて使っています。「必要は発明の母」。特に目立とうとしたわけではなく、きっちりと効率よく仕事ができるように工夫してみただけです。
Q. 蓜島さんにとってLegendとは?
A.特にありません。誰かにあこがれてこの職業に就いたわけではないというところが大きいでしょうか。
Q. 最後に若いミュージシャンになにかアドヴァイスをお願いします
A.何もありません(笑)。しいて言うなら、「死ぬまでミュージシャン!」くらいかな。
インタビュー後記—————————————
我々演奏家から見て蓜島さんは頼れる指揮者であり、タイミングにおいては絶対の信頼を置ける指揮者なので、演奏に集中することができます。そのせいか、いつも自信家に見えたり怖かったりもすることもありました。プロとしての厳しさもさることながら、立場上自信たっぷりに見えますが、実は気さくな方ですね。
でもその裏には、仕事に対していつも緊張があることが分かり、ますます親しみがわきました。蓜島さんが必要とされる生演奏が増えると嬉しいですね。 広報委員長 塩崎容正
◆RMAJ NEWS No.33 2018. June 掲載◆