Q. この仕事に就いた経緯をお聞かせ下さい
A.高校一年生の時に父が亡くなり、大学に行くには、当時学費が安い国公立しか選択支がありませんでした。ピアノをやっていたので一般大学よりは、というくらいで芸大を目指し、高二から作曲の先生について勉強して一浪で入学できました。
当時はいっぱいあった「はこバンド」*の仕事を学生時代から始め、卒業後はシャンソンの聖地「銀パリ」で仕事してました。そこで偶然、以前から知り合いのCM音楽制作会社の人と会ってCMのピアニストとして呼んでもらったのがスタジオで仕事を始めるきっかけでした。1976、7年頃で、やはり新室や東室と言ったところが多かったかな。スタジオの仕事はCMからという時代でした。
周りは知らないおじさんばかりでアウェイ感いっぱいの時、大先輩にもかかわらず最初に声をかけてくれたのがハーモニカの崎元さんでした。こちらはよく知っていたのですが丁寧に自己紹介していただき、今もおつきあいは続いています。その後、曲を書かせていただけるようになり、作家としての仕事も始めました。
Q. 一番忙しかったのはいつ頃ですか?
A.やはり、1980年代から90年代かな。昔の手帳を見ると一日6本とか平気でありましたね。
Q. スタジオの仕事の昔と変わった点は?
A. 全く音楽の基礎的知識がないアレンジャーが多いのには閉口します。絶対弾けないフレーズが書いてあったり、管楽器の音域外なんか当たり前で、楽器特有のちょっとしたノイズばかりを気にしたり。そんな現場のときは、次の仕事をお断りすることもあります。
「書き」で言うと、当日までキーを知らせてくれないことが最近ありました。当然、現場でキーが変わるので、難しくならないようにと考えます。そう言う無駄なことに気を遣うのは辛いです。仕事自体は少なくなっていても、現実には大変になってますね。
Q. 卒業された東京藝大作曲科で学んだことは、どのように役立っていますか?
A.作曲に必要?な技術、和声学だとか管弦楽法などは大学受験までに終えていて、作曲科ではそう言う事を忘れて現代音楽ばかりやらされていた感じです。
作編曲は、むしろ演奏の仕事をしながら現場で覚えたことが大きいかな。はこバンドの仕事も含め色んなジャンルの音楽を覚えました。ピアノ演奏もそうで、猛練習して上達したと言うよりは、スタジオでプレイバックを聴いて、自分の演奏の特に音色についてどうしても納得がいかなくて、指の先まで神経を集中してどうしたら納得出来る音が出るかを突き詰めました。実戦が一番の勉強でした。
Q.唐突ですけど、絶対音感はありますか?(笑)
A.入試の頃までは少しあったようですけど、今は全くありません。おかげで平均律に縛られない民族音楽を楽しめるし、ピアノの調律が悪くても平気です。
むしろ、それはそれで受け入れて、そのときの音楽を楽しめるのも絶対音感が無いおかげです。
Q. 作曲の仕事は、どういうものが多いですか?
A.一緒にコンサートをやってきた人のアルバムが多いです。この間も崎元譲さんのアルバムをやらせていただきましたが、今までにも何十曲も書いています。崎元さんは20才でドイツから帰ってきて、Villa Lobosのコンチェルトを吹いています。彼のために日本の名だたる作曲家が曲を書いているし、ハーモニカの世界に随分貢献されています。あと、黒竜江省出身の二胡の賈鵬芳のアルバムも5枚ほどアレンジさせていただいて曲も提供しています。
それと最近は自分のために曲を書きためています。特にジャンルはなくて、クラシックでもジャズでもポップスでもない、簡単で良い音がする音楽を作りたいと思っていて、何十曲か組曲にして楽譜を出したいと思っています。
Q. ところで、Jazzを始めたのはいつ頃ですか?
A.もう学生時代からジャム・セッションには参加していました。当時のジャズの世界は、酒などでとても長生きできそうにない人が結構いたりして(笑)、ジャズってこういう世界か!と思っていました。
ただ、普段の仕事で会うことの無いピアニストと知り合えたのは良かったです。例えば島健*と知り合いになれたし、今も友達です。Jazzピアニストで一番好きな野力*とか、倉田君*とか・・・。
私がJazzをやり始めた頃はちょうどfusionの全盛期で、変にこだわりを持たずにJazzが出来る様な雰囲気になってきて、良かったと思いました。
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Q. どういうJazzが好みですか?
A.大体、王道のマイルス、コルトレーン、エバンスなどをよく聴きました。ラジオでいろんなものを聴くのが好きでしたね。(ここで、事務所にオオスズメ蜂が飛び入り参加。でもすぐに退散しホッとした。)
Q.美野さんのJazz Trio についてひとこと
A.みんな年取ってきたし(笑)、そういう創造的な場面は自分で作って楽しまないとつまらないですよね。
我がTrioの三原則というのがあって、1.音楽の話をしない、2.干渉をしない、3.練習をしない。もちろん、長い間一緒にやっている信頼関係もありますが、やはりそうしないと面白くて創造的なことはできないと思います。
Q. 仕事について何かアドバイス有りますか?
A.こだわりを持たないことかな。自分を無理に主張したりせず、フレーズがどうこう言うのでは無く、その時の最高の演奏をするように心がけています。
今まで仕事をしてこられたのは、そう言う事もあるかも知れません。ただ、プロとして自分に納得いかないことは解決しないといけないですね。
Q.携帯電話を持たないことで有名ですけど・・・
A.自分にとっては必要ないし干渉されたくもないですから。ただ、最近は少し周りに迷惑をかけているかなと感じることもあるし、もちろん自宅とは連絡とれるようにしていますよ。これから益々時代が要求してくるかも知れないですけど・・・。
Q.美野さんにとってLegendとは誰でしょう?
A.Legendというか、一番尊敬するのはストラビンスキーです。高校生くらいの頃、楽譜はもちろん、いろんな指揮者やオケのレコードを聴いたり、生演奏も聴きに行きました。それでもう頭の中で鳴っているので聴いてもつまらなくて、最近は聴くことはありません。
ストラビンスキーはアイデアもオーケストレーションも素晴らしい。聞こえない方がいい音も書かれています。いわば隠し味ですね。聞こえないけど必要な音です。ロバート・クラフト(指揮者)著書のストラビンスキーの本は素晴らしいので読んでみて下さい。
インタビュー後記
美野さんと言えば、美しい音色・正確なリズム・ミスのない演奏・良く響くオーケストレーション等から、アカデミックなイメージを持っている人が多いと思います。しかし、ご本人はそう言う事にとらわれない自由さに美を見い出そうとされているようです。
美野さんは本当の音楽力を磨くのは、実戦しかないと考えています。仕事では、常に自分に求められることを瞬時に判断して対応する。そうすることでアレンジの勉強にもなったそうです。
対談を通して、自分の音楽に自由であろうとすることは集中力であり謙虚さであり、また共演者との信頼関係が大事だと思いました。そして、やはり歴史に裏付けられた基礎力を感じました。
〔広報委員長 塩崎容正〕
◆RMAJ NEWS No.31 2017. June 掲載◆