伊藤さん(横) のコピー

Q. この仕事に就いた経緯を教えて下さい

A.同じ高校に、アレンジャーとして一世を風靡した井上鑑さんがいて、彼がCMの仕事に誘ってくれたのがきっかけだと思います。1974年頃のことで、JAZZ系のスタジオミュージシャン全盛の時代で、彼としてはきっと同世代のミュージシャンと仕事がしたかったのだと思います。
そこで紹介されたグループ・トモ(現タムタムミュージック)の石塚さん(故人)や新室の久保田さんあたりに色んなアレンジャーを紹介していただいたと思います。自分自身、ドラマーでプロになりたいと言うよりは、サラリーマンは無理かなと思っていたので、誘われるままにその世界に入っていきました。楽譜がそんなに読めたわけではないけれど、誠実に仕事をしていれば仕事はいっぱいあった時代でしたね。
2年ほどスタジオで稼いで、そのお金でニューヨークで3ヶ月ほど過ごした記憶があります。

Q. 録音の仕事で、今と昔でどのような違いを感じますか
A.最近はやっつけの様な仕事が無くなったと思います。いっぱい仕事があったときは、お金にはなっても充実感の無い仕事もかなりあったけど、最近は劇判でも事前にCD化が決まっていたりすると、事前に楽譜とプリプロ音源が送られてきたりして、その仕事にかける意欲が違うと思います。
若い世代のミュージシャンも随分優秀で、色んな音楽にも対応出来るし、みんな真面目だし、それ相当のものを作らなければ後がないでしょう。
80年代当時は、録音のトレンドなのか、結構はっきがまとめるという感じだったので、強弱よりもきっちり音を出して、正確なリズムでたたくことが重要でした。それに比べて最近は、録音の時からそれなりの強弱をつける様になったきたかな。
ボブ佐久間氏(2/17「トークぷらすライブ」ゲスト)をはじめ服部克久氏、前田憲男氏、宮川泰氏(故人)、藤野幸一氏等に呼んでいただいたオーケストラの演奏では、ナマ音の中で小さな音や強弱を表現する技術が身についてきたと感じているし、それがまた録音に活かせている感じがします。

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スタジオの仕事を始めた頃(70年代)は、まだマルチが4チャンネルくらいで、クリックもまだ無くて、そのうえ慣れないことも多かったので、随分色々迷惑もかけたし、自分も精神的にまいった事もあったけれど、何とかそこを乗り越えられたし、チャンスもあって良い時代だったと思います。
仕事量は言うと、バブル経済の崩壊まではすごかったですね。翌月のスケジュールがほとんど埋まっていて、スケジュール管理事務所に「何日の午前中だけ空けて下さい」とか言わないと全く休みが無いという状態でした。

Q. 教える仕事はしていらっしゃいますか?
A.頼まれて子供を何人か教えた事がありますが、それだけかな。

Q. 自身のプロジェクトなどや、リーダーアルバムはありますか?

A.スポットライトを浴びる様な立場が大嫌いなので、そういうものはありません。だから、今日みたいな立場は、すごく居心地が悪いですよ。(笑)
この「Legend」にされるインタビューも何とか勘弁して欲しかったのに、どうしてもって押し切られてここに居るんですからね。ドラムソロですらも嫌で、できれば避けて通りたい。そういう性格だから、スタジオ・ミュージシャンは天職だと思っています。

伊藤さん似顔絵

Q. グルーブ感を出すコツのようなものはあるでしょうか?

A.最近は、グルーブ感とかにプライオリティーを置かないようにしています。誤解されることを恐れずに言うとすれば、自分が好きなアメリカのドラマーのグルーブ感を考えると、環境も違うし、日本で仕事をしていてなかなかあのレベルに達するのは難しいと考えるようになりました。
日本で自分が仕事をしていくなかで、毎日違う人と仕事をして、その中でみんなが楽しんで出来る様に対応を考えるのが、自分にとっての幸せだと感じています。その日そこにいた人との関係性というか、お互いがいることで良い仕事ができたということの方が面白い。あまりグルーブとかに拘ると、そう言うところを軽視しかねないと思うのです。
ジャズの巨匠ハービー・ハンコックの自伝のなかに「音楽の目的は、音楽そのものより大事だ」と言う様なことが書かれていて、あれほどの人でもそういう事を言うのだと思いました。

高市:史朗さんのカウントについていつも思うのですが、まず「ハイ」と言ってカウントされるのが、明るくてすごく入りやすいんです。きっと、今話されたような思いでそうされてるのかなと思いました。

Q. あなたにとって“Legend”は誰ですか?

A.Legendというわけではないけど、スティビー・ワンダーが好きかな。あの人は、仕事じゃないからああいう風にたたけるのかも知れない。あと、レニー・クラビッツも好きです。どちらも職業ドラマーではないですが。 今聴くと、やはりトニー・ウィリアムスとかはすごいなあと思う。

〔トニー・ウィリアムス〕
17才で巨匠Miles Davisのグループに迎えられ黄金時代を築いた天才ジャズドラマー。当時、斬新で驚異的なテクニックでジャズに新しい世界を作り上げてきた。

Q.若者に何か一言お願いします

A.あえて言えば、「耳」が大事かな。最近の若いミュージシャンの皆さんは、みんな技術もしっかりしています。
その上で言うとすると、周りの音を良く聴くことで、その場で自分が何をすべきか、何を求められているかを感じて、そうすることで、結局音楽の力そのものがついてくるのだと思います。

インタビュー後記
伊藤史朗さんは現在65才以下。すなわちビートルズ世代以後のドラマーで、最も多くスタジオの仕事をしてきた信頼されているドラマーの一人です。
大きくクレジットされることもほとんど無く、一般にはあまり知られていませんが、80年代には数時間テレビを見ていたら必ず2〜3回は彼の音を聞いていたはずです。
スタジオミュージシャンの中にも強烈に個性をアピールした人、グルーブ感だけで成功してきたドラマーもいます。それはそれで素晴らしいと思いますが、スポットライトをあびることを嫌い、自分のグルーブを押しつけることもなく黙々と仕事を全力でこなし、一つの頂点に立ったのが伊藤史朗さんです。
決してクライアントに迎合してきたわけではありません。打ち込みの技術が大変ハイレベルになった今、それでも「生」でと頼まれるにはそれなりの何かがあるわけです。ちょっとした強弱であったり、音色であったり、フィルであったり。
今回のインタビューで感じたことは、自分の道を早く見つけてしっかりした考えを持って進むことの大事さです。自分は自分でしかありません。伊藤史朗さんは、スタジオの仕事を天職だと感じ、この仕事を続けて来れたことに、何よりの幸福感を感じているようです。

◆RMAJ NEWS No.29  2016.Jan. 掲載◆